鉄工所の生産管理 : okk

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就職をして初めて触ったNCが大阪機工のマシニングセンターMCV820になります。まぁ常にオペレータとして操作をしていたわけではありませんがたまに操作もしていました。NCというものは学校で少し触ったことがある程度です。NCフライスになります。切削工具の代わりにペンを指して下に敷いた紙の上を滑らせていました。もちろんGコードも本当に簡単なもの、学校のお勉強でしたが楽しかった。
実際に就職して本物のマシニングセンタのGコードを見せてもらったら、全然違う。今ではもう殆ど覚えていないけどG0,G1やM0,M1とかだけで使えるような代物ではなかった。そうだ、最初は長いコードは紙テープで読み込んだ記憶がある。
主に事務所でなんやかんやらしていたけど、現場の作業者が休んだりすると代わりに操作をしていたんですが、やはり現場は面白い。最初の1代目の機械ということで特別に周りを柵で囲んでいた。だけどそれが夏には暑くて暑くて大変だった。現場用の黄色い巨大な扇風機はまだなかった。ある日暑さをアピールするために思いっきり汗をかいて段取り替えなどをしていました。そこに部長がやってきて、じっとこっちを見ている。暫くしてこう言い放ちました「若いうちは、いっぱい汗をかいとけよ」まぁ、そりゃそうだけどガックシ。しかしその分仕事が終わってからの風呂は気持ちよかった。
最初の制御装置がメルダス。多くはファナックでしょうが、メルダスでした。色々なことをして遊びました。このマシン円テーブルを搭載しています。同時4軸加工とかも行いました。R8000とかの板を削るのですが通常だとエンドミルになるでしょうか。これだと遅い。そこでカッターを使うことに。円テーブルでワークを持ち上げて、極力カッターの刃が効率よく当たるように、円テーブルを回します。これは動きが面白かったので、近所の工場の方も見に来ていました。自社の鋳物場の連中はあまり来なかった。
最も多く加工したのが油溝になるでしょうか、これは同時3軸。これもそうですが、もちろんCAD/CAMは使いません。当時TAMをよく進められましたが流石に手が出る金額では無い。それにこういう加工には合わないかもしれない、よくどういうものかがわかっていませんでした。そこでパソコンを用いてX,Y,Zの計算をひたすら行いました。コードはG0X○Y○Z○が延々と続くもの。まぁ面白かった。
イベントで名盤を掘る事がありました。蒸気機関車のプレートを削り出し。D51 351とか適当に掘りました。これはEZ-Millというソフトを使いましたがどちらかと言うとマッキントッシュが欲しかったのであまり使っていなかった。バイスに挟んで、夜の間に加工、翌朝バイスを緩めると歪んでいたのでそのまま1mほど飛び跳ねたそうで。そいつはむっちゃ怖かったと言っていたけど、見てみたかった。
その後久しぶりに大阪機工を訪れたのは10年以上、もっと経っていたでしょうか。敷地も小さくなっていた。工場と工場の間の通路も以前は色々なものがおいてあったんですが、何もなくて換算としていた。ちょっと景気が悪くなった頃になります。
今はたまにホームページを見ることがあるくらいで、もう敷地に足を踏み入れることはなさそうです。当時の担当の営業の方も随分前に定年退職。知っている方もいないと思う。

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